自分にとっては日本GP、モナコGP、ベルギーGPに次ぐ4つ目の、妻にとっては初のF1 GP観戦のために、インディアナ州インディアナポリスまでの1泊2日の旅であった。
F1は週末にかけて行われるが、最近のF1は金曜日にフリー走行、土曜日にフリー走行と予選、日曜日に決勝レースという具合に行われるが、今回は土曜日の朝のフリー走行から観戦すべく、エヴァンストンのアパートを土曜の朝5時に出発する。シカゴのすぐ北に位置するエヴァンストンからインディアナポリスまでは約3時間のドライヴであった。インディアナ州内のドライヴはレースの行われたインディアナポリス・モーター・スピードウェイの近くまでずっと高速道路であったが、ずっと同じ風景が続いていたため、多少眠くなったりもした。
レースの行われたインディアナポリス・モーター・スピードウェイは、1909年に作られたもので、スタンド部分は歴史を感じさせるものがあった。このサーキットは世界の3大レースの1つと呼ばれるインディ500というレースの舞台となるところで、通常はオーヴァル(楕円形)・コースであるが、このUS GPのためにオーヴァルの内部にコーナーを設けて、F1のコースにも利用できるように改装された。F1は90年代の初めまでアメリカで行われていたが、このインディアナポリスでのUS GPはそれ以来の久々のものであった。そのせいか、チケットはソールド・アウトとなり、たくさんの観客を集めていた。
土曜日の予選の日は、まず8時半頃にサーキットに到着。9時からのフリー走行を最終コーナーのスタンドで観戦。この日はスタンド席が指定席ではないため、自由に席を選べるのだが、午後の予選もこの席で観戦。同じカラーのチームメイト同士の見分け方(ヘルメットの色で見分ける)を妻に説明しながら、自分もドライヴァーの判別方法を確認する。予選結果は、1位ミハエル・シューマッハー、2位デイヴィッド・クルサード、3位ミカ・ハッキネン。順当な結果である。個人的には、好きなドライヴァーのミハエルがポール・ポジションを獲得し、総合ポイント・ランキングで2点差を付けて首位をいくハッキネンの前からレースをスタートできるのは嬉しいことであった。
予選後はサーキット内のおみやげ物売り場へ。どこも人が山ほどいて、物を買うのになかなか自分たちの順番が回ってこなかったが、フェラーリのキャップを購入。しかし、みんなたくさんの物を購入しているもので、このGPの3日間だけで相当な売り上げがあるのであろう。
この日は翌日の早起きに備えて、ホテルのある町(Fort Wayne、サーキットから約2時間の距離にある、ここしかホテルが押さえられなかったのであった)へ移動。途中の高速道路で激しい雷雨に見舞われて前が見えなくなり、路肩に車を停めて嵐が去るのを待つという恐ろしい体験をした。
翌日曜日も朝5時にFort Wayneを出発、7時にはサーキットに着いていた。朝の7時だというのに、サーキット周辺にはもう多くの人が集まってきており、すでにGPの雰囲気を醸し出していた。F1は国際的なイヴェントであるがため、多くの国々からの観客がきており、英語以外の多くの言葉を耳にした。中でもドイツ語が一番多かったような気がした。
サーキット内の売店で朝食を済ませ、8時半からのフリー走行を見る。決勝の日は全席指定。自分たちのチケットはホーム・ストレートの第1コーナー寄りのサーキットの内側に建っているスタンド。TVモニターを見るのに後ろを振り返らないといけないが、ホーム・ストレートを最高速300km近くで走り抜けていくマシーンを目の前に見ることができた。
フリー走行が終わり、サポート・レースが始まる頃から雨が降ってきて、F1の決勝が始まるちょっと前まで降っていたが、決勝の直前に雨があがる。元々この週末は雨が予想されていたため、多くの観客がレインコートなどの雨対策をしてきてあったが、F1チームも雨対策に頭を巡らせていたに違いない。
決勝は数台を除いてほぼ全マシーンがレイン・タイヤでスタート。予選2位のクルサードがポール・ポジションのミハエル・シューマッハーを抜いてトップで第1コーナーへ。しかし、結局クルサードはジャンプ・スタートと判断されて、後で10秒間のペナルティ・ピット・ストップを命じられることになり、順位を後退させる。
レース序盤に各チームが早くもドライ・タイヤに交換する動きを見せる中、ミハエル・シューマッハーは1人、レイン・タイヤでトップを独走する。タイヤ交換をせずに上位を走るのはミハエル・シューマッハーだけでなく、意外なドライーヴァーもいた。ミナルディのジネやアロウズのフェルスタッペンなどは一時期3位くらいを走っていた。
全マシーンがタイヤ交換や給油のためのピット・ストップを終えると、やはりトップはミハエル・シューマッハー。ハッキネンは2位走行中にトラブルでリタイア。代わってラルフ・シューマッハーが2位になり、兄のミハエルとの兄弟ワン・ツー体制になるが、ラルフもトラブルでリタイア。
最終的にはミハエル・シューマッハーの独走という形でレースは終了。しかも2位にはバリチェッロが入るというフェラーリのワン・ツー・フィニッシュ。3位にはBARのヴィルヌーヴの激しい追い上げをかわしたジョーダンのフレンツェンが入る。
今年は残念ながら日本人ドライヴァーが1人もエントリーしておらず、母国のドライヴァーを応援するということができなかった。スタンドにはハッキネンとサロの2人のフィンランド人ドライヴァーを応援するフィンランド人らしき人たちを結構見かけたし、ドイツ人もたくさん見かけた。日本人ドライヴァーはいなかったが、でもホンダ・エンジンを搭載しているBARが4位と6位に入賞したのは日本人にとっては良かったと言えよう。実際、アメリカに住むホンダの社員らしき日本人をたくさんサーキット内で見かけたし。ただ、F1に復帰2年目となる来年はもっと良い成績を狙って欲しいものである。
エヴァンストンへの帰りは途中の高速道路で渋滞に見舞われたりしたが、無事帰宅。広いアメリカではあるが、F1 GPが自分の家から車で数時間のところで行われるという非常にラッキーな状況であったがために、見に行くことができてとても満足であった。また、次は別の国でF1 GPを観戦したくなったのも事実である。
Formula One US GP (Sep. 24, 2000) Final Results
1. Michael Schumacher
2. Rubens Barrichello
3. Heinz-Harald Frentzen
4. Jacques Villeneuve
5. David Coulthard
6. Ricardo Zonta
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