ルマン24時間耐久レース、インディ500マイル・レースとあわせて、世界の3大レースの1つと言われるF1モナコGPを見に行った。コート・ダジュールの天候は最高でとても美しい海と空が出迎えてくれた。このGPはブラジル出身のスーパースター、アイルトン・セナがレース中の事故で帰らぬ人となってから初めてのレースであり、最終コーナー付近には"Adieu
Senna"という文字が書かれていた。
普通の街中の通りを使ってレースが行われるため、レースの前と後にサーキット(通り)を歩くことができ、予選後とかにはピットにも入ることができた(ピットも普通の道上にあるため)。そこで撮ったマクラーレンのアップの写真をお見せできないのが残念。
このレースのウィナーは当時、ベネトンをドライヴしていたミハエル・シューマッハー。彼はポールポジションからスタートして、レース中ずっとトップの位置を維持しながら、レースに勝ってしまった。F1グランプリという大きなイベントの場に居合わせることは素晴らしいことだが、レース自体はそれほど白熱したものではなかった(自分がシューマッハーのファンではあるにもかかわらず)。ただ、ホームストレートのピットの反対側という素晴らしい席から見た伝統のモナコGPは、F1カーの爆音に耳を傷めながらも、十分堪能することが出来た。
移動に関しては、成田からソウル経由の大韓航空機でパリ入りし、そのままニース行きの夜行列車に乗った。この日はフランスの国民の祝日だったようで、クシェットという簡易ベッドのある車両が埋まっていて、結局、普通の席をリクラインニングで倒して寝た。ニースには木曜日の早朝に着いた。当時の他のF1GPと違って、モナコGPは街の一部を封鎖して行われるため、金曜から日曜までの3日間通して、サポート・レース、予選、決勝と行うと、モナコ住民が不便に感じるため、木曜日からGPウィーク・エンドを始めて、金曜日の午後をブレイクにあてるというスケジュールで行われていた。もちろん、毎晩はコースが開放されていたが。
GP期間中はニースの小さなホテルに滞在し、毎日モナコまで通った。大体電車で20〜30分くらいで、GP期間中には臨時電車も出ているようだった。GP終了後の月曜日にパリに戻る時は、ニースからパリまで7時間で行くTGVに乗り、そのまま大韓航空でソウル経由で日本へ帰ったため、パリでの観光をする時間は今回はなかった。
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